「労働時間管理・把握義務」

「労働時間管理・把握義務」

長崎、福岡で、「企業側」の労務問題を取り扱っている弁護士植木博路です。 

今回は、「労働時間管理・把握義務」について、話をしたいと思います。

1 使用者の労働時間管理・把握義務      (※1)

  例えば、仙台地判平成21年4月23日(労働判例988号53頁は「労働基準法は、賃金全額支払の原則(同法24条1項)をとり、しかも、時間外労働、深夜労働及び休日労働についての厳格な規制を行っていることに照らすと、使用者の側に、労働者の労働時間を管理する義務を課していると解することができる」と述べています。

  また、土田道夫著「労働契約法」第2版、㈱有斐閣、2016年、 P.339以下)は、「労働者が時間外労働等に従事したとして割増賃金(労基37条)の支払を請求する場合、時間外労働等を行ったことについては、原則として労働者が主張・立証責任を負う。しかし、近年の裁判例は、…使用者の労働時間管理・把握義務を肯定するとともに、割増賃金に関する労働者側の立証責任を軽減する判断を示す傾向にある」と述べ、さらに、「労働時間管理・把握義務を労働契約上の義務として肯定すべきか否か、肯定するとすればいかなる権利義務と構成すべきか」との問題提起をしたうえで、「労働時間管理・把握義務については、労基法上の労働時間規定(労基32条・35条)から生ずる労働契約上の義務であるとともに、信義則上、賃金支払義務に付随する注意義務と構成することが適切である」と述べています。

※1 労働時間把握義務については、安全配慮義務を履行する前提としての労 働時間把握義務(労働安全衛生法66条の8の3)もありますが、今回取り扱っているのは、割増賃金(労基法32条・36条・37条)に関する労働時間把握義務です。

2 労働時間の主張立証責任

  労働者が時間外労働をしたとして割増賃金の支払を請求する場合、時間外労働を行ったことについては、労働者が主張・立証責任(主張し、証拠により証明する責任)を負います。

  しかしながら、裁判所は、労働者側の立証責任を軽減する判断を示す傾向があります。その根拠とされるのが、使用者の労働時間管理・把握義務です。労働者が時間外労働をしたと主張しているけれども、それを根拠づける資料を提出しない場合でも、使用者が適切な反論ができない場合には、労働者の主張する時間外労働の存在を認めるというような判断です。使用者には労働時間を管理し把握する義務があるのだから、使用者にその義務違反があり、適切な反論ができないならば、労働者側の主張する時間外労働があったと認めるのが公平であるという考えが読み取れます。

  しかし、使用者が労働時間を把握する義務を負うといっても、その義務の履行は必ずしも容易でない場合があります。後記3に述べます。

3 労働時間管理・把握義務の履行は容易ではないこと

  使用者が労働時間把握義務を負うこと自体は否定できません。

  しかし、この義務は、使用者限りで履行できるようなものではないと考えます(※2)。例えば、使用者が始業終業時刻の把握をタイムカードで行おうとした場合でも、労働者が適切にタイムカードを打刻するのでなければ、労働時間の把握はできません。そもそもタイムカードで始業終業時刻の管理ができたとしても、始業後から終業までの間の時間については、管理把握ができません(営業職の労働者が、営業先に行った帰りに、公園で昼寝をしていても、分かりません)。

また、使用者が労働者の自己申告制により労働時間を把握する場合、労働者が適切な申告をしなければ、労働時間の把握はできません。

  なお、労働者が労働しているか否かを確認するため、監視カメラを設置し、労働者の言動を常時かつ細部にわたり録画するという方法によるならば、労働時間の把握に労働者の協力は不要であり、使用者限りで労働時間把握義務の履行が可能と言えるかもしれません。しかし、労働者の言動を常時かつ細部にわたって記録することが、労使にとって望ましい環境と言えるのかは疑問です。また、そのような監視が可能な職種も限られるように思います。さらに、そのような設備のための費用も、使用者にとっては小さくない負担です。

 ※2 そのような債務について、民法493条ただし書は「債務の履行について債権者の行為を要するときは、弁済の準備をしたことを通知してその受領の催告をすれば」、弁済の提供となる旨定めています。そして、民法492条は「債務者は、弁済の提供の時から、債務を履行しないことによって生ずべき責任を免れる」と規定しています。

4 使用者の労働時間管理・把握義務を強調するべきではないこと

  労働時間管理・把握義務の履行は容易ではないことを考慮すれば、使用者の労働時間管理・把握義務を強調するべきではないと考えます。これを強調し、時間外労働につき労働者の立証責任を軽減することには、慎重であるべきです。

ただし、経営者においては、労働者の権利意識の高まりや労働者の会社への帰属意識の低下等により、「労働者が割増賃金支払請求を行う可能性が高い」ことを前提に、労働時間管理・把握を適切に行うように、会社の仕組み作りをし、適切な労働時間管理・把握を継続していかなければならないと思います(※3)。

 ※3 労働時間の把握や割増賃金の支払はラフで、『そのかわりに(そのかわりにという表現は適切ではないかもしれませんが…)』多めの賞与を支給するとか、海外への社員旅行を実施するなど、労働時間の把握や割増賃金以外の部分に、費用を投じている会社があります。しかし、退職した労働者から割増賃金の支払を請求された場合には、当然のことですが、「多めの賞与を支給したとか、海外への社員旅行を実施した」というのは有効な反論にはなりません。労働時間の把握がラフであったがために、労働者が根拠なく多額の割増賃金を請求してくる可能性もあります。その場合、徹底的に争うべきです。それでも、労働時間の把握がラフであったことをつつかれ、不当な請求であるにもかかわらず、敗訴する可能性があります。そのような事態になることを防ぐためにも、経営者としては、労働時間管理・把握に一定のコストをかけなければならないだろうと考えます。「労働時間管理・把握のための一定の仕組みをつくり、労働者から不当な請求を受けないようにすること」が重要です。

弁護士 植木 博路

(長崎、福岡で、「企業側」の労務問題を取り扱っています)

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