「労働時間」とは②
「労働時間」とは②
長崎,福岡で,「企業側」の労務問題を取り扱っている弁護士植木博路です。
今回は,「労働時間」とは何かついて,話をしたいと思います。以前のコラム
の続編です。ただし,前回は,判例を中心とした説明でしたが,今回は学説を中心に,話をします。
1 「労働契約上の労働時間」と「労基法上の労働時間」
労働契約上の労働時間とは,労働契約や就業規則などで労働義務があるものと定められた時間をいい,当事者の主観的意思によって決定されるものです。これに対し,労基法上の労働時間は,使用者が実際に労働者を「労働させ」る実労働時間を言います。
2 労基法上の労働時間か否かの判断
⑴ 判断枠組みとして,
以下の3つの説があるのですが,判例が客観説に立つことを明らかにしたこともあり,客観説が主流です。 当事者の意思によって労働時間か否かが変わるとなれば,労基法規制を容易に免れることが可能となるので,主観説や二分説ではなく,客観説が妥当と説明されています(水町勇一郎「詳解労働法第2版」東京大学出版会2021年,663頁)。
・ 労働協約,就業規則,労働契約等の約定によるという約定説
・ 主観でなく,客観的に判断するべきという客観説
・ 中核的労働時間については客観的に判断しつつ周辺的な労働時間については約定を基準とするという二分説
⑵ 客観説をとった場合に,労働時間性の判断基準・要件については,
① 使用者の指揮命令下に置かれている時間とする指揮命令下説(一元説)
② 使用者の指揮命令下に置かれている時間または使用者の明示・黙示の指示によりその業務に従事する時間とする限定的指揮命令下説(部分的二要件説)
③ 使用者の関与の下で労働者が職務を遂行している時間とする二要件説
という3つの見解が紹介されています(前掲水町,664頁)。
通説は①,すなわち指揮命令下説(一元説)ですが,これに対し,次のような批判がなされています。
すなわち,「古典的工場労働では,労働時間はまさに指揮命令に拘束されて労働する時間であり,指揮命令概念で労働時間を把握しても問題はなかった。しかし,労働者の過半数をホワイトカラーが占めるようになってくると,具体的な指揮命令に拘束されて働くという古典的な労働時間把握が妥当しなくなってきた。通説は指揮命令概念を抽象化してその労働時間概念を維持してきたが,そうすると判断基準が不明確化し,実際の判断は別の要素により行った上で,その結果を『指揮命令下に置かれた時間』という説明に帰着させるに過ぎないこととなる」というものです(荒木尚志「労働法第4版」㈱有斐閣2021年(203頁))。
菅野和夫「労働法第12版」㈱弘文堂2019年(496頁)は,
「労働時間とは,使用者の作業場の指揮監督下にある時間または使用者の明示または黙示の指示によりその業務に従事する時間と定義すべき」といいます。指揮命令概念のみによる把握の限界を認め,指揮命令概念では処理できない場面に「業務性」という新たな判断要素を導入し,部分的に労働時間を二要件で判断しようというものです。
前掲荒木(202頁)は,
「労働時間概念は使用者の指揮命令に代表される使用者の関与要件(労基法32条の労働「させ」たといえるか)と,活動内容(職務性)要件(当該時間が「労働」といえるか)という二要件から構成されており,いずれか一方の要件が完全に欠けた場合は労働時間性が否定される。労働時間制が問題となるのはいずれか一方の要件が希薄である場合で,実際の労働時間性判断は両要件の充足度が「労働」「させ」たと客観的に評価し得る状況に至っているか否かによる。労基法上の労働時間とは『使用者の関与の下で,労働者が職務を遂行している時間』をいい,その使用者の関与の程度と職務性の程度を相互補完的に把握して,客観的に『労働させ』たと評価できる程度に達していることを要する」としています。
前掲水町(665頁)は,
「『労基法上の労働時間性』については,職務遂行と同視しうるような状況の存在と,使用者の指揮命令や黙認など使用者の関与の存在との2つの要件から判断される」としています。
弁護士 植木 博路
(長崎,福岡で「企業側」の労務問題を取り扱っています。